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訪日外国人インバウンドおすすめスポット速報アンテナ

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天神山城 [1/3] 戦国大名 浦上宗景が拠点とした巨石と石垣で固めた山城。

天神山城は、備前国(岡山県)東部の山中深くに築かれた中世山城で、守護赤松氏の守護代から下克上を経て備前戦国大名となった浦上氏の居城。戦国大名となった浦上氏だったが間もなく兄弟間で争いが起こり、一族は兄 正宗派と弟 宗景派に分裂する。天神山城は弟 宗景の居城として築かれ、一時は備前播磨美作を手中に収めるほど勢力を伸ばすも、家臣 宇喜多直家の謀反により攻められ落城、廃城となったという。1km以上もある長い尾根上に連続した曲輪を連ねた連郭式山城で、城内は自然の巨石を巧みに利用した石門跡などが多く残る東の前期天神山城と、天正期になって改築された石垣や大手門跡などを持つ西の後期天神山城に分かれる。

<基本データ>
●名称:天神山城 (Wikipedia)
●所在:岡山県和気郡 (地図)
●城主:浦上宗景
●築城:1554年
●遺構:石門跡、堀切、竪堀、大手門跡、石垣、切岸、曲輪

訪問時期:2015年5月
天神山城 訪問記 − 其の一、二、三。


<訪問記>

tenjin-yama-jo_01_5265s天神山城へは、城の東にある「和気美しい森」というキャンプ施設の奥から登城できる。

tenjin-yama-jo_02_5266和気美しい森の宿泊施設はナンチャッテお城風。天神山城を意識しての意匠だろう。天神山城跡までは990m!の案内板。とはいえ城跡は横に1km以上もある長大なもので、その西の端まではここからすぐにたどり着ける。恐らくこの990m先というのは本丸跡までの距離を表しているのだろう。

tenjin-yama-jo_03_5267キャンプ設備を奥へ進んでいく。

tenjin-yama-jo_04_5268道はそのまま森の中へ。大きな絵図看板があるところが、天神山城への登城口だ。

tenjin-yama-jo_05_5269天神山城 案内図。天神山城は前期築城部(太鼓丸城)と後期築城部(天神山城)に遺構が二つに別れている。こちらの案内図に載っているのは前期部分のみ。自然の岩石を利用した古いタイプの山城だ。

tenjin-yama-jo_06_5270s登城口に建つ天神山城跡碑。

tenjin-yama-jo_07_5271登城口を進むと、最初の案内図にあったように道の左右に土塁や根小屋跡、堀切などが配置されている・・・のだが、現地はこの通り余り整備がされている状態ではなかった。

tenjin-yama-jo_08_5273藪々でどこが土塁がよく分からない状態。

tenjin-yama-jo_09_5275尾根道が僅かに凹んでいるので「堀切」と書かれていると、ああ、と気付く程度。奥の方はちゃんと整備されているのに、何故か入口のここだけ放置されている謎。

tenjin-yama-jo_10_5276郭。うーん。

tenjin-yama-jo_11_5282しばらく進むと巨石がゴロゴロするエリアへ。このあたりから見どころが増えてくる。

tenjin-yama-jo_12_5283巨大な石が道を塞いでいる場所。石門と看板が立っている。巨石が自然の城壁と化している。

tenjin-yama-jo_13_5285s尾根の削平地の大半を岩が塞いでいる。軍用石の看板あり。浦上氏初期の居城だった東の三石城では投石用の石材が軍用石として看板があがっていたが、こちらではとても投げられそうにない巨石に軍用石と書かれている。はて。

tenjin-yama-jo_14_5286更に奥には軍用石と彫られた立派な石碑まで。すごい軍用石推し!しかし周りには巨石ばかり。尾根道ではなく斜面を無理やり登ってくる敵兵に一撃必殺の巨石転がし用?

tenjin-yama-jo_15_5289石門跡を越えると高台へ。太鼓の丸、と書かれた看板がある。

tenjin-yama-jo_16_5290太鼓の丸城 説明板。旧天神山城。元は室町以前に日笠青山城の出城として日笠氏が築城、その後 戦国時代になり戦国大名となった浦上氏の一族 浦上宗景が改修してこの地は太鼓櫓として物見台が築かれ、城の搦手門に当たる場所となった、という。

tenjin-yama-jo_17_5292太鼓の丸より少し西へ進めば、城らしい雰囲気が残る場所がある。今までの自然の巨石を利用した城から、明らかに人工的な石積へ。

tenjin-yama-jo_18_5294崩れてはいるがかつて石積(石垣)の城壁が建ち、あいだの通路には門が配置されていたであろう場所。

tenjin-yama-jo_19_5310s太鼓の丸の西端へ。大きな案内図がある。

tenjin-yama-jo_20_5307こちらが天神山城(新旧)全体図。かなり横に長い!写真一枚にすると小さすぎて見えないので新旧で分断して見てみよう。

tenjin-yama-jo_21_5308まずは東側(図の右側)前期天神山城、通称 太鼓丸城。今いる太鼓丸城は旧本丸かと思いきや、すでに過ぎてきたところに「本丸」と書かれた最頂部があったようだ。根小屋や郭と書かれた場所は藪やぶで全く見られない状態だったので、恐らく本丸もそのような状態で気付かずスルーしてしまったのだろうか。この先は上の石門、下の石門、亀の甲、堀切を経て、西の後期天神山城へ。

tenjin-yama-jo_22_5309後期天神山城。想定復元図だが、外周を石垣がぐるっと囲んでいて、段々に築かれた大量の削平地に所狭しと小屋や屋敷が築かれている。上の前期とは大違いの様相だ。室町以前の日笠氏時代と、戦国期の浦上氏との技術力・財力の違いか。

tenjin-yama-jo_23_5303太鼓丸城跡からは少しだけ眺望が見られる場所がある。南西方面。狼煙台だろうか。

tenjin-yama-jo_24_5304太鼓丸城からの眺望。標高400m以上でなかなかの高さ、物見をするにしてもかなり木を伐採しなければ城下は見えない。

tenjin-yama-jo_25_5296そして見逃しがちだが太鼓丸城の外周にも僅かながらだが石積が残る場所がある。足元に気をつけて少し降りてみよう。

tenjin-yama-jo_26_5298結構な大きさの石を積み上げた壁。

tenjin-yama-jo_27_5300大小様々な形の石を乱雑に積み上げている。

tenjin-yama-jo_28_5314では西へ向かおう。岩が露出した道。

tenjin-yama-jo_29_5317しばらく進むと岩場も終わる。新緑の季節なので、さながら緑のトンネルのようだ。

tenjin-yama-jo_30_5318と思ったらまたも巨石群。先程の石門跡よりも更に道を塞ぎまくっている。上の石門、と書かれた看板。

tenjin-yama-jo_31_5319上の石門。当時もこの配置だったのか、盛大に崩れ倒したのか、よく分からないがすごい迫力ではある。

tenjin-yama-jo_32_5321上の石門を上から見下ろす。岩の上に壁や柵を築いて、敵がまっすぐに進めないように区画して利用した感じだろうか。

tenjin-yama-jo_33_5323更に岩場の道は続く。

tenjin-yama-jo_34_5326s斜面の最上段へ。ここは下の石門と書かれている。

tenjin-yama-jo_35_5328下の石門。上の石門ほど巨石が道を塞いでるという状態ではないが、木戸などを築くことで防御力を高められる程度の岩はゴロゴロしている。この先は看板にあるとおり堀切、そこが東の前期天神山城と西の後期天神山城の境目となる。

>> 天神山城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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Source: 城めぐりチャンネル速報



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