読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

訪日外国人インバウンドおすすめスポット速報アンテナ

訪日外国人インバウンドおすすめスポット記事まとめ。アンテナサイトです。増え続ける訪日外国人の経済効果で地方創生を。最新の流行をお届けします。アイデア集としてもお使いください。

天神山城 [3/3] 西曲輪群の外周部に築かれた石垣は必見。

天神山城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要] 和気美しい森から自然の巨石群で守られた前期天神山城(太鼓丸城)を経て、戦国大名 浦上宗景の居城 後期天神山城へ。堀切、高土塁、石積など太鼓丸とは大きく異なる人工的な要塞然とした後期天神山城。

訪問時期:2015年5月
天神山城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

本丸の西側、二ノ丸より再開。

tenjin-yama-jo_66_5376s二ノ丸から西側奥を見る。長屋の段。段々に曲輪が形成されている。左側の人が降りているあたりの先に、長屋の段の側面に築かれていた石垣の一部が残っている。後ほど降りてみよう。

tenjin-yama-jo_67_5377長屋の段。倉庫、鉄砲櫓、食料櫓、武器櫓などがあった、という。

tenjin-yama-jo_68_5380長屋の段の側面に残る、石積の跡。小さめで割ったままの石が数段積み上がっているだけだが、落城以来500年弱こうして残っているのだ。

tenjin-yama-jo_69_5383そこそこの長さで結構残っている石積。このあたりが最も良く残っている場所か。

tenjin-yama-jo_70_5386長屋の段から二ノ丸方面を見返す。3mほどの段差が築かれている。

tenjin-yama-jo_71_5389長屋の段から更に西を見る。まだまだ段曲輪がずっと続いている。

tenjin-yama-jo_72_5394長屋の段の西側下曲輪から見上げた、長屋の段 側面。かなり崩れてはいるが、ここも石積で固められていたらしき跡も残る。

tenjin-yama-jo_73_5395長屋の段の西側はそれまでの段々から変わり、奥が見えないぐらいの細長い曲輪。こういう曲輪は大抵が馬場跡と名付けられる、天神山城でもやはり「桜の馬場」と呼ばれる。

tenjin-yama-jo_74_5397s桜の馬場 中央に生える巨木。

tenjin-yama-jo_75_5433桜の馬場 先端部が見えてきた。

tenjin-yama-jo_76_5398s桜の馬場の説明板などは一番西側に集中して設置されている。

tenjin-yama-jo_77_5400s桜の馬場。城内最大の曲輪で、両側面には帯曲輪など付随する小曲輪が設置され、中央北側には大手門跡があるという。

tenjin-yama-jo_78_5401大手門跡。かつてここに櫓門があり、大手門の下には百貫井戸のある水の手曲輪があるという。

tenjin-yama-jo_79_5402桜の馬場の北側に向かって築かれた大手門跡。石垣が残る。

tenjin-yama-jo_80_5403桜の馬場 大手門跡の石積。一段低くなった所の側面に石積が見られるが、周辺の崩壊が激しく、どのような姿の大手門になっていたのか現地を見ても分かりづらかった。

tenjin-yama-jo_81_5405貫井戸道と名付けられた、城の北側斜面下へ伸びる道。百貫井戸へは時間の都合で未訪問。

tenjin-yama-jo_82_5406桜の馬場の外周部に築かれている帯曲輪。大手門があり、帯曲輪や腰曲輪が築かれている桜の馬場は、城があった当時は大手曲輪とも言える城の正面玄関に相応しい立派な建物が並ぶ重要な曲輪だったのだろう。決して馬を走らせるような場所ではなかったと感じる。

tenjin-yama-jo_83_5425また桜の馬場外周には、城内最大の高さが残る石垣が良好に残っている。特に案内板などはないので、よく外周を注意しながら散策しよう。こちらは南側の石垣跡。

tenjin-yama-jo_84_5431結構な長さの規模で残っている。腐葉土が積もっているので、土の下にはもう何段か残っていそうな様相だ。発掘調査が期待される。

tenjin-yama-jo_85_5407桜の馬場の西側へ。鍛冶場跡。

tenjin-yama-jo_86_5408鍛冶場 説明板。

tenjin-yama-jo_87_5409鍛冶場の一部には石で囲んだような跡も見られた。

tenjin-yama-jo_88_5410更に一段降りて西へ。三の丸にあたる。

tenjin-yama-jo_89_5411三ノ丸から見上げる、鍛冶場・桜馬場。5m以上の段差になっている。

tenjin-yama-jo_90_5412三ノ丸。奥に展望台が見える。当時の遺構だろうか、曲輪の上にも石列のような石が見られた。

tenjin-yama-jo_91_5413s三ノ丸の西端は休憩施設が建てられ、その眺望の良さから展望台となっていた。

tenjin-yama-jo_92_5414三ノ丸からの眺望。400m以上の標高を誇るため、麓を流れる吉井川もこの距離。

tenjin-yama-jo_93_5416三ノ丸の更に西側にはもう少し曲輪が築かれているが、段差は今までに比べてかなりの高さとなる。三ノ丸から東が城の主要部、ここから西は外周部となるだろうか。

tenjin-yama-jo_94_5417下へ降りてみる。西櫓台。見張りと、本丸や竜ヶ鼻城との連絡場であった、とある。竜ヶ鼻城は天神山城の更に西側の浦上氏の城だろうか。

tenjin-yama-jo_95_5418城内もっとも西側の曲輪へ。下の段。

tenjin-yama-jo_96_5421下の段から西櫓台を見上げる。西側から天神山城に侵入した敵兵はまずこの曲輪へ到達し、その際10mほど頭上の西櫓台からの攻撃を受けることになる。ここはまさにそれを敢行するための囮曲輪で、五十騎一備の桝形である、と書かれている。

備前戦国大名となった浦上宗景 一代の居城、天神山城。彼一代で落城していることもあり、戦国初期の当時の戦国大名がどのような技術を持ちどのような城を拠点に活動していたのかがよく分かる事例とも言える。備前の歴史では欠かせない浦上氏の夢の跡。歴史だけでなく見どころも多く、ぜひ訪れておきたい。

訪問時期:2015年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る


Source: 城めぐりチャンネル速報



from インバウンドスポット – 訪日外国人インバウンドニュース速報まとめ http://ift.tt/2nW2lfM
via IFTTT
広告を非表示にする